それは、小さな偶然。
神波憲人は徹夜の仕事を終えて、いまいちすっきりしない頭を抱えつつも自宅への帰路を急いでいる最中だった。秋も終わり、しかも早朝となるとだいぶ空気の冷えこみはきつく、最寄駅で電車を下りた途端感じる肌寒さに、神波の足は自然と早くなる。
駅前の商店街を横目に黙々と足を運び、やがて小さな公園にさしかかる。周りに住宅地が目立つわけでもないのに設けられたこの公園は、申し訳程度にある古い遊具を、雑草と木々が覆っているという代物だ。その公園を囲う垣根の前を、いつものとおり通り過ぎようとした時。
「…あれ?」
ふいに、垣根の鬱蒼とした緑の中に、ぽつんとそこだけやたらと派手な色彩が混じっているのが視界の端っこに引っ掛かった。いつもの日常風景を知っているからこそ感じる違和感に、神波は立ち止まる。
くるりと振り向いて、そのカラフルなものをちゃんと視界の中央に入れる。その正体はすぐさま簡単に判明した。それ故に、神波は戸惑う。
「どうしてこんなところに…」
呟いて、状況を把握するために少しの時間考えこむ。けれどそうしていても埒が明かないな、と思った神波は、やがてゆっくりとそれに向かって手を伸ばした。
ボタンを押す手ごたえ。同時に軽快なチャイムの音が部屋に響いているのが、こうして外にいてもドア越しにかすかに聞こえる。
いつもなら間髪入れずに弾んだ声と共にこの目の前の濃紺の扉は開かれて、恋人の笑顔に出迎えられるはずなのだが、今日はしばらく待っても扉が開く気配がない。
「…? おかしいな」
自分が今日ここ来ることは前もって告げてあるし、駅の改札を抜けた時に、そろそろ着くから、と携帯にメールも入れた。部屋の主がいないはずはないのだが、と、平山晃哉は首を傾げる。人差し指でドレッドをかき分けて頭を掻いた。
しかし、よくよく耳をすませてみれば、チャイムの返事こそないけれど扉の向こうから小さく人の声がしたものだから、平山は指の動きを止めた。
「…カン?」
今度はこんこん、と扉を直接ノックして、耳を近づけてみる。
「あー、平山さん!? ごめん、ちょっと今手ぇ離せなくって…! 勝手に入っていいよー」
聞き慣れた少し高めの声は、何やらあわてた様子だ。平山は遠慮無くドアノブに手をかけて、きちんと鍵がかけられているそれが回らないことを確かめると、ジーパンのポケットから鍵の束を取り出す。その中から神波の家の合鍵を迷わず掴んで鍵穴に差し込んだ。
「ちわーす」
扉を開けて、暖房が効いた暖かい室内へ踏み込む。後ろ手に扉を閉めつつ靴を脱ごうと腰を屈めると。
「わー、ちょっと待って!!」
奥の方から聞こえてきた神波の叫びには、何やら耳慣れないばさばさ、という物音がかぶさっていて、何事かと玄関のタイルに落としていた視線を正面に向けた平山の目に映ったもの。
「うわっ!」
なんだかよくわからないものの、鮮やかな色をした小さな物体が猛スピードで自分の顔めがけて突進してきたものだから、反射的に平山は固く目を瞑った。思ったよりも軽かったけれど、やってきた頭への衝撃に肩を竦める。
「……?」
頭に小さな重みを感じる以外にはもう何も起こらないらしく、平山はおそるおそる目を開けた。そこに立っていた左手に何故かタオルを握り締めている神波の姿を見て、次に頭に乗っているモノの正体を確かめようと視線を頭上にやってみるけれど、当然のことながらその姿は確認できなくて、今度は頭上を払うように腕をかざしてみる。
「あ…」
神波の小さな呟き。そして平山の腕に、頭上にあった重みが移動する。本当に、いったいなんなんだと平山が少々顔をしかめながら、平山が腕を自分の目線に持ってきた。そこにあったモノを認識して、平山は一瞬きょとんとしてしまった。
「な、なんだ、コレ…。鳥、だよなあ…」
平山の腕にちょこんとのっかり、羽と足を揃えて、愛くるしい顔で小首をかしげている、平山の拳ほどのサイズの小鳥。さまざまな色で飾られたその身体は、ざっと見ただけでも頭が黄色で腹の辺りがオレンジ、羽は濃い緑色で先の部分には青色も混じっているといった風に色彩豊かだ。
「多分インコ、ってやつだよ。泥だらけだから綺麗にしてやろうと拭いてやってたんだけど、逃げられちゃって」
口元を綻ばし微笑んで、神波が平山の腕と同じ高さに自分の腕を持ってくる。色鮮やかな小鳥はまた首をかしげて、とん、と神波の腕に移る。呑気に小鳥に顔を近づけて遊ぶ神波に、平山はとりあえず眉を下げて溜め息をついてやる。
「カン、そーゆーことじゃなくてだな。…いったいコイツどうしたんだ」
「拾ったの」
「拾ったあ?」
「そ。駅ちょっと行ったとこの公園の木の枝にさ、ちょこんってとまってたんだよね。こんな珍しい鳥だし、腕出したらすぐ肩にのっかってくるくらい人に慣れてたから誰かに飼われてたんだなってことはすぐわかったんだけど、周りに飼い主らしい人もいないし、鳥飼ってそうな家さえ見つかんなかったの。だから…」
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